昭和55年03月27日 朝の御理解
御理解 第91節
「もとをとって道を開く者は、あられぬ行もするけれども、後々の者は、そういう行をせんでも、みやすうおかげを受けさせる。」
天地の親神様もさる事ながら、教祖の神様もこう言う御教えを下さっておるのでございますから、この合楽理念が誕生したと言う事はもうこよない神の喜びであり、金光大神の喜びであろうと思います。皆さんお分かりになるでしょう。後々の者はみやすうおかげ受けさせる。合楽理念に説く所合楽理念は簡単です明瞭ですしかもね、有り難く楽しゅう愉快にすらなれれる手立てが説いてあります。と言う風に申しますよね本当にみ易うおかげが受けられる。火の行をせんならん水の行をせんならん火立ち物断ちと言った様な。
いうなら過去の宗教がしてきた修行のイメージというものをアップした、その信心こそ私は合楽理念によるものだ基づくものだと言う風に思います。だから問題はねこの合楽理念の行者たらんという願いがね、本当に出来なきゃ駄目です。ただおかげを受けんならんと言う事で、何十年続いてもやっぱりその信心ちゃ難しいもんだと言う事になります。そういうイメージアップすると同時に、ならその見易いと言われる楽しいと言われる。いや愉快にすらなると言われる。なら合楽理念をです本当に生活の中にね。
すっぽりと頂き込んでしまわなければ駄目です。ここは合楽理念ここは自分の考えと言った様な事では、折角みやすいお徳の頂けれる、おかげの受けられる手立てが説いてあっても駄目です。私は今日しきりにその事を、みやすうおかげを受けさせるというのは、教祖の神様の願いが合楽理念がここに誕生したと言う事を、どれ程私の言うて来た事を、思うて来た事、神様の願いを合楽理念によって、成就していく事が出来るであろうかと、これからの期待といわば、教祖金光大神も喜びを感じておって下さると思うです。
昨日は12時から久富正義先生の所の、娘さんの結婚式に出席させてもらった。もう本当に私は初めてまぁ洋風と申しますか、腰かけての結婚式とまぁ申しますかね、もう本当に洋風ですよ百三十人からあったんだそうですけれども、紋付袴というのは私と花婿さんだけでしたから。それだけでももうそのうやはり変わったなということを思いました。もう豪華絢爛というでしょうかね、それとも目もくらむばかりの結婚式でした。もう花嫁御の美し事美し事、ほんなこてもうそりゃもう本当に美しい花嫁御でした。
それに劣らん位に花婿さんも立派でした。またあちらのご両親も立派でした。もう負けず劣らずと言う様な感じでした。もうそれこそ綺羅星のような名士の方達が、もう席一杯を連ねてのまぁ結婚式でしたが、私は本当にまぁこんな状態ですからこりゃ断りもでけまい、まぁ後にも先にもまぁ出るにしたところで、まぁ今度が初めての最後だと、まぁ思うてでらせて頂いたんですけれども、出ておって良かったと思いました。
あちらの新婦の方達の方の身内の方達が三名でしたか、仲人さん共なら四名、もう立派なあのうご挨拶でございました。新婦側からま私が一人でしたから、こりゃ若先生じゃやっぱ出来じゃったじゃろうと思うのです。そしてまぁ色々聞いていて頂いた事なんですけれども、結局後から考えてみるとご理解だったなぁと思うんです。昨日はまぁ久富ふみえとしての最後のまお参りだったでしょう。
親子三人で昨日朝の御祈念に参っておりました。その事をお届けさせて頂いておりましたら、弥次喜多道中双六ということを頂いたんです。どういうことだろうかと思いましたが。あのう弥次というのは、弥増々の弥という字ですね、じとは次ぐという字が書いてある。弥次々とということにもなるでしょう。きたはちと書いて御覧なさい。喜び多い八とかいてありましょう。いうならば喜びが多いしかもそれが広がりに広がっていく、いうならばあの様な祝福の中に、いわゆる喜びの中に。
昨日の新郎新婦の第二の人生と言われる結婚式がね、喜びムードの中に起こった。だからそれがまた喜びに終わらなければいけないという意味でした。皆さんもご承知でしょうけれど、弥次喜多道中双六というのは、笑いに始まって笑いに終わるという、まぁ滑稽小説なんですね。言うならば私共が土より出でて、土に帰ると言われる、だからその道中とてもやはり土のあり方でなからなければ、道理におうた生き方とは言えない。
この様な喜びを受けての事であるから、また喜びに終わるというだけではなくて、その道中とてもやはり喜びでなからなければならんという事でございます。でその弥次喜多八のおかげを頂く為には、こう言う生き方がありますよという話を、私の前に話された方達がみんな花嫁花婿のまぁ祝福の事ばっかり殆ど。そすとその家との係わり合いを話しておられましたから、私はもう取分け正義先生どんが夫婦の事を話させて貰いました。そもそも私と正義先生の出会いと言うのは、それこそ先生が若い時にあの大病をした。
正義先生は知らんでしょうけれども、あのお父さんが最後の医者の診断を受けた時に、それこそ男泣きに泣き。繁雄今日はこうじゃったというて泣いて、男泣きに泣いて話されたと言う事です。特にあの切妻の倉庫の上に家がでけるのが、あれはもう正義のあすこで死ぬる家と言う風に言われたと言う事を、私は繁雄さんから聞かせて頂いて、正義先生は本人だから聞きゃしませんけれども、私は繁雄さんから聞いた話がそんなもう言うならもう死か生かというそういう時に、縁を頂いたのが私と正義先生で三井教会で。
そういうところから始まって。そして健康のおかげを頂いて結婚。本当にそん時もやっぱり私と文男先生とが呼ばれたんです。ついこの頃のごとあったはぁそりゃもう、当時の小川組といやぁもう大した事でしたから。今でこそまぁそれこそ釣り合わない様な事だったんですけれども、そう言う所から奥さんを貰いました。本当に私がそれでそんたつ枝さんの事話すんです。嫁ごの時よりもお母さんになっていくたんびんにこの人は成長したです。これもいつも内々で話す事ですけれども。
たつ枝さんばっかりは段々お母さんになっていくたんびんに、素晴らしくなっていくね。花嫁御ん時よりもお母さんになってから、そして一人二人三人と子供を持つに従って、素晴らしいこれはやはり正義先生の、いうならば人となりがあぁ言う風にぁいて行かずにはおれないと言う事になって来たんだろうとこう思いました。それでもうもう間違いなく一年後にはお婆さんになる事でしょう。だからお婆さんになったら、いよいよまた素晴らしいお婆さんになる事だろう。
私はそういう話をさして頂きながら感じた事でした。本当に是程しに素晴らしく子供を育てた娘を立派に育てた。というけれどもですやはり親そのものも育たなければ駄目だということです。はぁ子供がでけんのどうのこうのというけれども、親が育たんからでけんのです。親も一緒子供と共に育っていかなきゃいけんです。そういうひとつのま手本のような生き方をした人だと。この3月16日に沢山の信者を前にして、挨拶をした正義先生が話を聞いて貰いました。
親先生とご縁を頂いて三十年間、それこそ様々な事があったあったけれども、今から振り返ってみると、あぁいう事があったからそれこそ目の前が真っ暗になるような。普通で言うなら血の涙であろうと言う様な時であっても、それを神愛として受け、神願として受けて、振り返ってみると一切神愛であった証拠に神願であった証拠に、その節と思われるような都度に芽が出て枝が出て、今日の合楽久富建設があるんだこれから限りなくこれが広がっていくことだろう、いわゆる喜多八であるいよいよ弥次さんである。
私は合楽でそういう人達がね事実、実験実証していっておるということが有り難い。だからこれがいよいよ、そんなら子にも孫にも伝わって行く事のために。今度たつ枝さんがお礼に出て来た時に話そうと思うけれど、あれはあぁ話したけれどもあれはあんたげん正義さんが事ばいと、結局あんたもなら素晴らしく育って来たけれども、信心で育たなければ駄目だよと。こりゃ夫婦が本気で勢を揃えて、いうなら三人のまだ子供達がおりますから、娘が可愛いなら息子が可愛いなら。
また息子の嫁との本当の円満な喜びの生活がでけるためには、まぁたつ枝さんあんた自身が育たなければいけない、そんな事を私はお話しながら思うたんです。皆さんそうですよ子供を育てるとか育つとかと、自分が育っていないから子供が育たんのです。そう言う様な手立てをです、いわば合楽理念に基づくとみやすい事になるんです。楽し自分が育つ事が楽しゅうて堪えんのです。そしてそれがなら久富一家だけではなくて、久富一家一門その周辺にまで広がって行く程しの、ものになっていかなければ出来んのです。
正義先生あんたが30年の日参、どげなふうの難しかったのといや、そりゃやっぱ楽な事はなかばってん。やっぱりますます楽しいさとか有難さは増えていったと言うに違いないです。なるほど始めの間はそれこそあのう寒中に水ごりとって、お参りしたという時代があります。その時分なここでもういうなら表行盛んな時代ですからね。けどもそういうあられぬ行というものを今日の合楽では全廃して、栄枯盛衰と言った様なイメージをアップしながら、いよいよ喜多八広がりに広がっていくね。
日勝り月勝り年勝りのおかげを頂いて、その年勝りのおかげが、いよ代勝りのおかげを頂くためには。なら正義先生今度はいよいよ夫婦親子の本当の信心になっていかなければ、代勝りということは分からない。昨日の相手の木下さん所はもう、あのう楽器店をなさるようになって、三代目だそうです。三代目とかように書く売り家と書く三代目と言った様な、狂句をお話しのなかに交えながら話した方がおられました。だからそういうことにならん様に、しっかり頑張って下さいよとそういうイメージがあるんです。
もう三代目にはかように書くような結果が、それがもう世の常だというふうに思い込んでしまっているです。ところが合楽理念に基づく信心をさして頂きよったら、そういうものが無くなって来る確信が生まれて来る。ためにはなるほど親子夫婦一家一門が、本気でいわば合楽理念に基づく生き方がでけて来た時に、その確信が募って来るでしょう、またその確信通りの、おかげが受けられるだろうと言う風に思います。夕べ遅うにお礼に出て参りましてから。
もう近い内にあちらの長男がまた今度お嫁さんを貰うんです。そん時またどうでんこうでん親先生ち言うから、そげんもうこれだけは正義先生いかんばいち。でないとね私がまたんならというて、昨日申しましたような事を申しました事でしたけれども。私は昨日の結婚式に学ばして頂いたもの、それは成程この様にして、百数十名の綺羅星の様な人達が並んでおるけれども。この人達の内容たるや。
もう綺羅星の様なおかげを頂いておれば、頂いておるほど心の中には、いわゆるかように書く三代目を思うておるのであり、栄枯盛衰は世の習いである事を、そうならん事の為にもう只こうそれに縋っておるというだけの、感じしか受ける事でけませんでした。結局合楽にご縁を頂いておる人、とにかく合楽で合楽理念のいよいよ実験実証しておる人達の上にだけしか許されない、心の状態というものがです感じましたが。
いうなら合楽に御縁を頂いとってもですね、本当に信心はみやすうおかげを受けさせると仰る、みやすうおかげの受けられる今土台となるもの、それは合楽理念だとひとつ本気で思い込んで頂きたい。そしてそれを本気で身に付けて頂きたい。そこから確信が生まれてくる、それこそが代勝りのおかげという、いわば神様が約束して下さるような働きが生まれてくると思うんですよね。
どうぞ。